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英語を公用語にした(する)企業へのエール

2010年7月1日

日産・楽天・ユニクロなどの企業が、英語を社内公用語にしようとしている。こういったやり方は、今後、ある程度広がりを見せるものと思う。これに関するブログ記事で気が付いた物は以下の通り。

英語公用語化について (内田樹の研究室)
三木谷さんってここまで頭わるかったっけ?(楽天が社内公用語を英語化の件)
英語公用語化について一言/A few words on the language in your office

上記のリンク先ですでに述べられていることを繰り返しても仕方が無いので、ここには私の経験から来る意見を書いておきたい。

話を簡潔にするため、4つのタイプの企業があるとする。

1)他社に無い独自性を持ち、かつ、外国語でのコミュニケーションに優れている
2)他社に無い独自性を持つが、外国語でのコミュニケーションは苦手
3)独自性は無いが、外国語でのコミュニケーションに優れている
4)独自性も無いし、外国語でのコミュニケーションも苦手

私なりの解釈では、先にあげた3つのリンク先で言っていることは、2)のタイプが英語を公用語にすると、1)にはならずに3)になるよという警告だと思う。それらの主張については、それぞれ納得できるものがあるので、再掲しない。ここでは、少し視点を変えて見てみたい。

私自身の研究者としての経験では、海外でやってゆくのに、英語によるコミュニケーション力は最小限でよい。実際、私自身がそうである。アメリカにおけるアカデミックな人の多くは、外国人と英語でコミュニケーションするのに慣れている。いくらこちらの英語のレベルが低くても、「それはこういうことか?」「こんな事が言いたいのか?」と聞いてくる。議論の際に一番大事なのは、英語力ではなく、議論する中身なのだ。中身があれば、それを知ろうと、相手の側からあの手この手でコミュニケーションを取ろうとするのだ。

外国の企業から見ると、1-4のどのタイプの企業と契約したくなるであろうか?3)と4)は問題外。1)と2)では、独自性への評価が同じであれば当然1)と契約するであろうが、2)の方が独自性が高ければ、2)である。

ある会社の社長が海外で色々な人たちと話をしたとき、もしほとんど取り合ってもらえなかったとしたら、それはその社長の英語力が低いからではあるまい。相手に見る目が無かったか、会社もしくは社長自身に中身が無かったかのどちらかである。

見る目のない外国企業と契約する必要はない。中身の無い会社が海外で活躍することは不可能だろう。もっとも、4)のタイプの会社の社長は、3)を目指すのも一つの方法かもしれない。日本においては、外国語でのコミュニケーション力があるということ自身が、かなりの独自性だと言えるだろうから。

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