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初めての自分のコンピューター

2009年2月2日

中学生時代は、中高6年一貫教育の学校に通っていたために高校受験が無かったこともあって、MZ-80三昧の毎日を過ごしていた。頭が柔らかいこの時期に、プログラミングに熱中していたことは、脳の構造というか、思考回路というか、そういったものに非常に大きな影響を与えたようで、それが今の仕事に大きく影響しているようである。

もっとも大きな影響を与えていることは、空間認識に関することである。平面・立体両方において、何かしらの図形を思い浮かべてそれを頭の中で回転させるということが、得意になった。これは、ゲーム作りにおいて、それぞれのキャラクターの位置がXY座標として表現されていたり、キャラクターの移動方向がベクトルとして表現されていたためであろう。こういった基本的な概念は、現在の私の仕事において、特に蛋白質の立体構造を考える上で非常に役に立っている。

高校生になって、趣味の範囲が広くなり、MZ-80三昧ではなくなった。部活動とか、学園祭の準備とか、将棋とか、そういったことに費やす時間が多くなった。もう一つ、MZ-80三昧でなくなった理由として、自分自身のコンピューターを手にしたことが挙げられる。

10万円を超えるコンピューターを買える経済力はなかったので、当時ポケットコンピューターと呼ばれたものを購入した。初めて手にした自分自身のコンピューターは、Casio FX-702Pである。

702Pでは、当時すでに流通していたプログラム電卓の域を少し超えて、BASICが使えたことが購入の決め手。少し遅れて、FX-602Pも購入し、こちらは主に理科のレポート作成用に利用した。702Pではいくつかゲームも作成した。覚えているのは、二人対戦の野球ゲームで、左から右にボールが移動しそれをバットで打つというもの。投げる側は、ゆるい球と速い球の二種類だけであるが、ゆるい球を途中で早くすることができるので、うまく相手のタイミングをはずして空振りさせるようにする。攻撃側は、普通のヒッティング・バント・見送りの三種類の中から選ぶ。見送りした場合、ゆるい球だとストライクの可能性が高く、速い球だとボールの可能性が高い。これだけのルールであるが、結構楽しめた。

当時のポケットコンピューターやプログラム電卓の類は、いわゆるCR発信という、クロックの周期の長さがコンデンサと抵抗の容量の積で決まるような単純なクロックを用いていたものが多かったので、改造してクロックアップして用いた(上記の野球ゲームは、クロックアップしないとスピードボールが投げられない)。改造は簡単で、次のように行う。

1)蓋を開け、基盤に半田付けしてある抵抗を見つける。
2)それぞれの抵抗に対し、並列に別の抵抗をつなげることで容量を小さくし、実行速度に変化があるかどうかを調べる。
3)実行速度に関係する抵抗を見つけたら、それに可変式の抵抗(ネジをドライバーでまわす方式の、微調整が利くタイプ)を並列でつなげる。
4)可変抵抗のネジを少しずつ回しながら、安定に動く最大の速度を探る。
5)通常のスピードでも良い(プログラミングの際とか)場合に対応できるように、トグルスイッチをつける。

こんな感じで、多分3倍くらいの速度になったと思う。5)の改造は結構大事で、これを行わないと電池があっという間になくなってしまった。また、野球ゲームなどの3倍速のゲームを楽しむために、単一電池4つで動かす改造も行った。これにより、高価なボタン電池をいくつも買う必要がなくなった。

FX-602Pで作成した中で一番面白かったゲームは、ガンダム・ゲーム。これも二人対戦用で、将棋のように交互に手を進めながらゲームを進行させるものである。一方のプレーヤーはホワイトベースを、他方のプレーヤーはガウを指揮し、相手の船を撃墜したほうが勝ちである。15x15くらい(大きさは良く覚えていない)の大きさの盤の両隅に、それぞれの船が配置される。ミノフスキー粒子のため(笑)レーダーは使えず、視界は5ます先までしか利かない。したがって、離れているときは相手がどこにいるか分からない。それぞれのプレーヤは、ガンダムやドムなどのモビルスーツを繰り出して、相手の船の撃墜を狙う。このゲームは、同級生にかなりウケた。これを最も面白がった友人は、大学の情報処理系の学科に入学したが、もしかしたら彼の進路を決めるのに影響したかも?

(続く)

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